元旦に大人から子供へ渡すもの。もらって嬉しいもの。
実はお年玉の由来とされているのが「年神様の魂」や「年の賜物」なのです。今回は年神様、そしてお馴染みの鏡餅の意味についてお話していきたいと思います。
タイトルの「年神様の魂」や「年の賜物」。年神様という響きだけでもかしこまった気分になるのに魂や賜物という言葉がくっついてくると、より厳粛な雰囲気を感じてしまいますよね。とはいえ、この二つが由来となったお年玉は子供の頃に慣れ親しんだ人が多いかと思います。
お正月はもともと新年の神様である年神様をおもてなしする行事でした。年神様とは新たな年の恩恵や幸福を魂とともに人間へ分け与える存在です。魂と言っても神様の魂そのものではなく、新たな年を生きる力のようなものと解釈されています。
どのように魂を分け与えるのでしょうか。まず、先ほど言った通りお正月は年神様をおもてなしする行事でした。おもてなしを受ける年神様は鏡餅を依り代としてその家へ留まります。言わば鏡餅は年神様の家のようなものです。そして年神様の家となった鏡餅には御魂が宿ることとなり、これが年神様の御魂、つまり「年魂(としだま)」とされました。
ちなみに鏡餅は三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を表していると言われています。
平らで丸い餅の形は八咫鏡、鏡餅という名前そのものもこの神器からきています。鏡餅のてっぺんに飾られた橙やみかんが八尺瓊勾玉、簡易的な鏡餅だと見る機会は少ないかもしれませんが串柿という干し柿の飾りが天叢雲剣に見立てられており、三種揃ったとき強大な力を発揮するという神器が一堂に会する鏡餅が如何にめでたいものなのかよく分かります。さすが年神様のお家ですね。
この年魂の宿った餅を家長が家族へ、目上の者が目下の者へ与えることがお年玉のルーツと言われており、年のありがたい賜物からその名がついたとの説もあります。
さて、いただいた「年魂」をどうするのでしょうか。いただいたものを体に取り込む……つまり、食べます。
新年となり真っ先に食べる餅料理と言えばお雑煮ですよね。私自身もお雑煮を食べないとお正月が終わったような気がしないと思ってしまいます。今までなんとなく食べてきたお雑煮ですが、年神様の御魂の宿った餅を食べ、その力を得て新たな年を生きていくという大切な意味を持っていたのですね。
年神様の魂を分け与えることがお年玉、分け与えられた魂を取り込むための料理がお雑煮など、本来の姿が少しずつ変化しつつも今なお私たちの生活に深く結びついています。
こんな話をしているとなんだかお餅が食べたくなってきました。鏡開きで家族揃っていただく餅料理もおいしいですが、つきたてのお餅をシンプルにきな粉やお醤油でいただくのもいいですよね。いつ食べてもおいしいお餅、お正月に年神様へ感謝をしながら食べてみるのも文化的で素敵ではないでしょうか。